約30年前の、ちょっとした昔話。

仙台圏は、今日が中学受験のヤマ日です。
人気のある学校の試験日。
去年は5倍だったとか。

私は、神奈川県生まれ育ち。
首都圏は、2月1日が中学受験のヤマ日です。
約30年前、小学校6年生だった私は
ヤマ日に偏差値64倍率3倍の、本命の女子校
その数日後に偏差値70倍率15倍以上の、チャレンジの共学
2校を受けました。

そのための準備は、小学校2年生から。
小学校6年生の夏休みに親よりも速く正確な解答を出来るようになり
受験前の半年間、模試の結果は偏差値70以上を保って
万全で挑みました。

それでも最初、緊張して頭は真っ白。
漢字問題でようやく落ち着き、後は全力を出せました。

結果、本命校合格
チャレンジ校は1次は通ったものの、2次の面接で正直過ぎて補欠32番(=不合格)。
本命校に進学しました。

本命校に合格した喜びも覚えていますが
チャレンジ校が不合格だった時の失望も覚えています。

小学校6年生は、人格が出来ているようでも、まだまだ。
義務教育期間ですから、学区内の公立中学校への進学が保証されていて
中学校でがんばれば良いのに
受験勉強をすればするほど、公立中学校のことが頭から抜けて
不合格と知ると、受験した学校から人格全てを否定されたように感じるのです。

今ならば、分かります。
チャレンジ校に合格したとしても、それが終わりではありません。
その後、同級生と穏やかに学校生活をおくれるか。
いずれ進路をめぐって、努力や競争するのにたえられるか。
受験した私には、試験がひとつのゴールですが
試験官の先生方には、試験がスタートだったのです。

補欠32番は
"ウチに通っても、君は他の同級生と生活していくことに耐えられないと思うよ。
他のところでがんばった方が、君らしく暮らせると思うよ。"
という、ある意味の優しさだったのです。

そして、私の体が弱くて、塾に通えなかったので
受講料だけ払って、家で親と1対1で勉強をしました。
親も大変だったことでしょう。
それだけに、本命校に合格した時、私以上に親が喜び
私へのねぎらいの言葉は、ありませんでした。
"え?私、毎日学校から帰ってから5時間勉強して頑張ったのに。
座骨神経痛にも耐えて勉強したのに。
私の努力は何だったの?"
本命校に通う前に、新しい学校生活に期待する気持ちが冷めてしまいました。

そして、大学に進学してみると。

彼は、学区内の公立中学校、公立高校の出身。
体育会系の部活を6年経験。
彼だけでなく、私とは全く違う6年間を暮らした人が、沢山居たのです。

中学、高校でも、全然違う暮らし方がありますから
社会人になってみたら、それこそびっくりするような経験をなさった方が沢山。
私は、世間知らずなのだなぁ…と、何度も感じました。

中学受験は、ひとつの経験。
けれど、反抗期の初期、人格形成途中のこと。
だから、挑戦すること自体が、とても大きな出来事で
とても勇気をもって挑んだことなのだと思うのです。

子供の同級生で何人かが、今日大きな挑戦をしたようです。
良い結果であることを祈っていますが
まずは、挑戦した事自体に対して、経験者として
"頑張ったね。お疲れさま。"
と、伝えたいと思います。
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by bo-sun | 2015-01-10 19:45 | 雑記
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